日本共産党
川崎市議会議員

赤石ひろ子

おいたち

赤石ひろ子は・・・こんなヒト。

かかあ天下とからっ風の上州生まれ

母、妹弟たちと
母、妹弟たちと

私は群馬県の小さな農村(笠懸町、現みどり市)で生まれました。実家は農家で、養蚕や野菜、果樹栽培を営んでいました。幼いころの遊び場は畑や水田の畦道で、妹弟や幼馴じみと小川で魚をとったり、草花を摘んだり。

夏は雷雨、冬は赤城山から吹き下ろすからっ風。美しくもあり、厳しくもある四季折々の自然の風景が、私の感性を刺激し、育んでくれたと思います。

演劇に熱中した青春時代

中学、高校、大学とずっと演劇部に所属していました。私は演劇に出会うまでは、引っ込み思案でおとなしい子でした。しかし『森は生きている』のミュージカルを観て、その躍動感、ライブ感に魅了され、それ以降、自分が演じる側になっていきました。ステージは役者だけでなく、演出をはじめ舞台装置、効果、照明などじつに様々な人たちが力を合わせて作られます。それは理想的な社会の姿にも似ていると思っています。

編集の仕事にかかわり32年

職場にて
職場にて

私はこれまでずっと、編集者として生きてきました。一番長くかかわったのが子どものファッション誌です。「子どものたちの豊かな感性と健やかな成長を応援したい」。その一心で誌面づくりに取り組み、とりわけ、子どもの食や健康、教育、アートなど、文化的なページに力を注いできました。少子高齢化で子育ても様変わりしましたが、これからも形を変えて子どもたちにエールを送り続けたいと思います。

日本共産党へ

仕事的には共産党との接点はあまりありませんでした。でも、2014年、安倍政権が集団的自衛権の行使を可能とした閣議決定をしてからは、政治の流れが自分の想いとは全く違うところに行こうとしている、これは絶対見過ごせないと思っていました。そのころ地域の信頼できる方に誘われ入党しました。
戦前から命を懸けて反戦と民主主義を貫いた共産党は尊敬していましたし、高校演劇部の顧問の先生だったり、二人の叔父だったり、私の人生の節々に共産党と党員がいました。

和太鼓・民舞が生きる力

庶民の芸能、民舞に興じて
庶民の芸能、民舞に興じて

趣味として和太鼓や民舞に触れて十数年になります。私がこれらに心惹かれるのは、市民が主役の芸能であること。日本人が長年築き上げてきたすばらしい伝統文化であること。また、その喜びを祭りなどの場で大勢の人と共有できることです。

そして私は、多くの太鼓や民舞の仲間に励まされ生きてきました。文化芸術の継承、発展のなかにも、私たちが豊かに生きるヒントがたくさんあると思っています。

障がいのある子とともに

息子と和太鼓コンサートにて
息子と和太鼓コンサートにて

私の息子は知的障がいを持っています。私は、彼を育てることで、多くのことを学びました。それは障がいのある子どもの立場や目線でモノゴトに向き合い、考え、行動すること。そして、周りで支えてくれる人たちの温かさです。

「人はだれでもキラリと輝く何かを持っている」。それは、障がい者だけでなくすべての人に通じることです。子ども、高齢者、女性、LGBTなど、様々な悩みや困難を抱えている人たちも楽しく生きられる社会が私の理想です。

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